善と偽善について

見返りを求めず何かに奉仕することが善だと思う人がいるけど

見返りがあっても、相手の人が「ありがとう」と思ったらそれだって善やん。

 

そりゃそうだろ当たり前だろって思う人も多いと思うんやけど

後者を「偽善」と呼ぶ人もいる

 

わたしは

ベビーカーを押してる人が電車で降りにくそうにしてたら

手を貸したくなるし

街で迷ってる人がいたら声を掛けたくなる

別にそれをしなくても誰にも文句言われないけど

家に帰ってから思い出してしまう

「あの人大丈夫やったかな」

「わたしが気づいたタイミングですぐに声をかけてあげたら

もっと早く辿り着けたんじゃないかな」

って。

 

で、それが自己嫌悪に繋がる

自分で自分が恥ずかしくなる

 

だからわたしは自分が後で後悔しないように

自分に出来ることなら助けようと心がけてるんやけど

最近それを偽善だと言われてムカついた

 

確かにわたしのしていることの矢印はわたしにも向いてる

でも相手の人にも感謝されてる

それは偽善か?

 

偽善ってのはさ

相手がどう感じようと、自分に100%矢印が向いている

「優しさもどき」のことを言うんやろうと思う

自分が優しさだと感じてることが、

実は相手にとっては迷惑になってることってある

お節介とは違って

お節介は自分がどうしても気になってしまって

どうしても手が出ちゃうことだと思ってて

それがお節介を焼く人にとっては当たり前で、

特に感謝されることを求めてないことを言うんだと思ってる

 

でも偽善っていうのは

感謝されて自分が気持ちよくなりたい、満足したい

っていうのが100%の人のことだと思う

結局のところ相手のことは考えてないし

相手も別に感謝を感じていない

でも自分は良いことしてると感じてるという状態。

 

相手の助けになれば良いなって

相手のことを思う気持ちがあってすることなら

結果的に自分に「感謝」という気持ちや金銭の見返りがあっても

それは偽善じゃないと思うんだ。

 

たまに

セレブの人とかが被災地支援で凄い大金を募金したりするのを

悪くいう人もいるけど

お金を産むこととか他のことに忙しくて被災地に行くことは出来ないけど

せめてお金だけでもって思ってるんだろうし

仮にそんな風に考えていなかったとしても、

お金は有り難いやんか。

有り難いと感じるのは被災地の人というより、国かもしれないけど

 

お金がないけど、何か力になりたいって人は現地でボランティアをする

時間も体力もお金もあって、お金も出すし現地にも行く人もいるとは思うけど

お金を出すだけ、っていうのを非難する人がいることに

納得できないんだって話

 

それによってネットニュースになって話題になることが

気に入らないんだろうけど

それだって結果であって偽善じゃない

 

もし相手に何か必要だとわかったなら

何もしないより

何かしたほうがいい

と思ってる

 

それを偽善と呼ぶなら

わたしは偽善者でも構わないけど

それを偽善と呼べるほど

あなたは善を尽くしてきた人なんだろうね。

 

と冷めた気持ちで考えた今日この頃です